スピリチュアルについて④
2025.03.08 カテゴリー:徒然なるままスピリチュアル的な生き方とは?
<スピリチュアル的な世界観とは>
ざっくり言ってしまうと、
『この世がメインの世界で、死ぬとあの世という未知の世界に行く』
というのが一般的な3次元的世界観だとしたら、
『あの世が私たちのメインの世界で、この世で何かを体験するために、この世という世界に来ている。』
というのが私の考える『スピリチュアル的な世界観』です。
考えてみたら、肉体を持つ私たちはものすごく不自由な存在です。
時間と空間の制限があります。過去にも未来にも自由に行けないし、場所の移動にもすごく時間がかかりますよね。あ〜不便だ不便だ(´;ω;`)
また、肉体という制限があるから、『私とあなた』が分離してしまいます。
肉体は交わることが出来ません。臓器移植での拒否反応を見てわかるように、細胞レベルでも交わることが出来ません。完全に分離した存在になっています。
完全に独立分離してしまっている私だから、失うことへの恐怖心が生まれ、それがあらゆる執着や嫌悪が生まれています。
そんな不自由で不公平な世界が、メインの世界だとしたら、この世界は残酷な世界だと思ってしまいます。
そうではなくて、私たちのメインの世界、つまりいわゆる『あの世』という所は、制限の無い世界です。肉体という制限、時間や空間の制限、自分と他者という制限が無い世界を考えてみてください。
行きたいところに一瞬で行けてしまう。
過去でも未来でも、好きな時間に行くことが出来る。
生も死も存在しない永遠の世界なので、死への恐怖や別れという悲しみも無い。
私と他者の区別がなく、交わっているため、『所有や争い、優劣、喪失』などのネガティブな感情が無い。
なんか、この世でのドロドロした部分が全部無い世界って感じですよね。
理想的な世界、こんな世界を天国って言うのでしょうか(๑╹ω╹๑ )
時間も空間も欲求も自我も無い世界でどうなるかと考えると、そこには『動き』というものを感じることが出来ません。
永遠で全てである世界は、何も無い世界と同じようなものです。心地よく幸せな状態ではあるでしょうが、もしかしたら幸せという感覚もないでしょう。幸せも『不幸』という対極が存在するから出来る概念ですから。
全てあるけれど、動きが無い世界で、体験をしようと思ったら、あえて動きのある世界を創りだす必要がありますよね。動きを創りだすためには、制限を作ればいいい。
私とあなた
過去と現在と未来
無いと有る
幸と不幸
勝ちと負け
光と影
などなど、制限を生み出すことで、様々な動きが出てきます。
私からあなたへの思い
過去の後悔、未来への不安
無いものへの欲求、得ることの喜び
幸せへの憧れ、不幸の嫌悪やそれを脱するための努力
勝つための努力、負けた悔しさと負けないための努力
昼と夜、季節、生と死。
それらを味わうために創られたのが、『この世』です。
そこでたくさんの動きを体験して、時期が来たら肉体を脱いで元の場所に帰り、また別の肉体で新しい体験をする、それが『スピリチュアルな世界観』です。
今では、多くの人が同じような考えをしていて、心強く感じます。
さて、スピリチュアルの世界観について書きましたが、その世界観で生きることがどうして幸せにつながるのか、書いていきますね。
長くなるので、また続きます( ・∇・)ノ
読んでくださり、ありがとうございます!