スピリチュアルについて⑤
2025.03.08 カテゴリー:徒然なるままスピリチュアル的な生き方とは?
『この世がメインの世界なのか、あの世がメインの世界なのか。』
というわけで、「あの世がメインである」という世界観でこの世を体験するという生き方が「スピリチュアルな生き方」ということなのですが、
では、スピリチュアルな生き方が揺るがない幸福感へとつながるということが、どういうことなのか、説明していきたいと思います。
と、その前にこの世界がどうして今のような状態になったのか、そしてどうして不幸を感じる人が多くなっているのか、そこから説明します。
不幸の原因は、もともと不幸ではなかった?
前のブログにも書きましたが、もともと私たちは制限がなく、ゆえに動きが無く、感情も生まれない、なので感情や気づき学びを体験するために、あえて制限のある世界を創った。それが私たちのいるこの世界です。
ネトフリとかアマプラでドラマを観ようとしたら、全部の作品が静止画で何のストーリーも無かったら、さすがに観る気が失せますよね(笑)
なので、この世は、ドキドキワクワク、ハラハラドキドキ、色んなストーリーに満ちた、楽しい場所であったはずです。
無い状態があるから、得られる喜びを得られます。
知らない状態があるから、分かった時の喜びが得られます。
負けるから、次は勝とうという意欲が生まれ、そして勝つ喜びを得られます。
劣等感があるから、もっともっと頑張ろうという向上心が生まれます。
ゲーム感覚で、無い状態や負けるということ、知らないという状態を楽しむ、そんな『動き』の体験を楽しむ、そんな世界を創ったはずでした。
ところが、思わぬ誤算が生じます。
恐怖心→執着の誕生が支配を生む
無い状態や負けという体験は、得ようとしたり勝とうとするための意欲につながるものでした。
しかし、そんな状態に対する恐怖心が強くなってしまった人々が生まれてしまいます。
無い状態へや負けるということへの恐怖心は、嫌悪や執着という概念を生み出し、独占欲というものを強く持った人が現れてしまいました。
その独占欲が強くなってしまった人々は、他者をコントロールしようと思い始めます。
自分だけが得をし続けたい、勝ち続けたい、誰よりも豊かであり続けたい、誰よりも偉い立場でいたい、そんな思いから、人をおとしめて支配する者が現れました。
*(言うまでもなく、得をし続けたいというのは損をすることへの恐怖、勝ち続けたいは敗北への恐怖、豊かであり続けたいは貧しさへの恐怖心です。恐怖心が嫌悪と執着の根本的な原因です)
その人たちが、大勢の人々を支配コントロールして立場をおとしめることで、自らは常に権力や豊かさを得られ続けるシステムを作り上げてしまいました。
そのシステムは、人々にとっていちばん大切なものが奪われて、制限するものでした。
そして、奪われてしまった”それ”こそが、私たちみんなが幸せに生きるために必要なものでした。
”それ”とは一体何なのか。とても大切な核心ですので、それについてはまた改めて書きます。
そういうわけで、もともとは『得る』という体験を楽しむために創り出した『無い』という概念だったのですが、そこに恐怖心が生まれてしまい、執着に囚われてしまった一部の人々が(主に男性なのですが)、自分達だけが永遠に持ち続けるためのシステムを作り出してしまった。植民地や奴隷制度、階級制度や偏差値教育など、様々なものが持つものと持たない者を分ける制度であり、それはつまりは持つものが持ち続けるための制度でもあります。
そんなシステムは、恐怖心がベースになっているため、とても強烈なパワーを持っており、あっという間に世界を支配してしまいました。それが今の地球で人間が暮らす世界のシステムになっています。
好き嫌いに関わらず、否が応でもそのシステムに囚われて生きなくてはならない世界になっているのが、私たちの住む世界なのです。すごいシステムを創り上げたものですよね。恐怖のエネルギーの強さを痛感します(。-_-。)
そんな支配されることが大前提の世界で、何も考えずに漠然と生きていると、自分の願いとはうらはらにどんどんつらい状況になってしまうことが多いと思います。だってそういうシステムなんですもの( ´Д`)
こんな支配された世界がすべてだという観念も、もしかしたら支配する層の人間からの洗脳なのかもしれません。スピリチュアルな世界観で生きてしまったら、もっと人々は自由に活き活きと生きてしまいますからね。
そんな世界観から脱却するためにも、私たちにはスピリチュアルな世界観が必要なのだと考えています。それは、本来の私たちを取り戻すことであり、もっとこの世界を楽しむために必要なことだからです。
スピリチュアルな世界観に生きるためのメッセージ
あなたは、何のためにこの世に生まれ、生きていくのでしょう?
それは、ただの偶然ですか?確率的にたまたまあなたという存在が生まれたのですか?
あなたの生きる意味は何ですか?幸せになることですか?
成功することですか?
競争に勝つことですか?誰かよりも優位に立つことですか?
もし、そんなものがこの世で生きる意味だとしたら、アフリカで生まれてすぐに飢餓で死んでしまう子供は生まれた意味が無いのですか?運が悪かったのですか?
生まれつき身体や心に障害がある人は、運が悪かったのですか?誰かのお世話にならなくては生きていけないその人は、生きる意味がありませんか?
この世は不公平や理不尽に溢れています。自然に生み出されるものも、意図的に創り出されたものも含めて。
そんな不公平で理不尽なこの世が世界の全てなら、私たちは何と残酷な世界に生まれてしまったのだろう、そんな風に思ってしまいます。
そうではありません。スピリチュアル的な世界観から観たら、この世はただの体験の場です。幸せについての様々なストーリー、愛についてのストーリーなどを、ただ体験する場です。
自分の境遇から紡ぎ出される、様々なストーリーを体験して、そこで様々な感情を味わって、そして肉体を脱ぎ、魂の故郷に還る。
そして新たな体験を求めて、再び違う肉体の世界に旅立つ。そんな世界であると考えるのが私の考えるスピリチュアルです。
長くなるので、また続きます( ・∇・)ノ
読んでくださり、ありがとうございます!