スピリチュアルについて⑦
2025.03.08 カテゴリー:徒然なるまま<スピリチュアルとサイキックの違い>
スピリチュアルな世界観とは、『私』と『あなた』という境が無い世界観です。
すべてが私。あなたも私。私の見ているすべての世界が私そのもの。
形を変えた私自身の表現。 誤解を恐れず言うのなら、あなたを含めたすべての存在は、神(根源と言い換えられます)の表現の一部である。という世界観です。
それは、エゴが無い世界観といえます。みんなわたし、みんなあなた。
サイキックの能力を持つ人が、スピリチュアルな観点でものごとを見ている人が多いことも確かです。
この世界の科学で認められていない能力は、3次元の世界だけという考えから離れないと受け入れられませんからね。
けど、どうしても肉体という物質を身にまとってしまっているために、3次元的な視点、エゴに囚われている人が多いことも事実です。
3次元の欲を満たすためにサイキックな能力を使うということ
サイキックな能力を、エゴを満たすために使っている人、サイキックな能力で観えていることを、3次元的に解釈してしまっている人の、まあ多いこと。少し残念に思います。
幸せになりたいという思いは、意欲やモチベーションにつながるので、それ自体は良いことだと思います。けれどそこに執着があるならば、それを満たすことは執着が強化されてしまうことにもつながるので、あまりおすすめはしません。
私の幸福、私のお金、私のパートナーなど、『私の〜』というのは3次元的な考え方です。そしてそこに執着がある状態はスピリチュアル的な考えではありません。
私とあなた、私と世界の境界線が曖昧になっていくのがスピリチュアル的な世界観であり、在り方です。
『あなたのオーラを輝かせることで、お金や豊かさをどんどん引き寄せます』
『龍神様を味方につけて、大成功しましょう!』
『私のすごい能力であなたの欲求を叶えてさしあげます。』
『あなたの不幸の原因を私が霊視して見つけてあげます。』
『あなたのソウルメイトと出会うのを導きます』
こんな感じの考え方というのは、「サイキック」ではあるのですが、私とあなた、幸や不幸、勝ちや負け、優越感や劣等感、正しいや間違い、成功や失敗など、二極化している思考なので、実に3次元的な思考といえます。
繰り返しますが、欲求があることは、生き物が生きていく上で絶対に必要なものであり、欲求は悪いものではありません。その欲求を満たそうとすることがこの世のメインの活動と言えるほどです。
けれど、石器時代のように生きることが大変だった頃に比べて、文明が発展して生きるために必死にならなくても良い状況にある我々は、もっともっと、自分の欲求の根源を見つめる必要があるように思います。
3次元的な執着を手放すことが幸福への第1歩
得る喜びは、永遠ではありません。それを失ってしまうことへの恐れや、別のものへの欲求がすぐに現れてしまいます。
勝つ喜びも、勝ち続けなければならないという恐れや、いつか負けるのではないかという恐怖心に襲われます。
3次元の物質の世界は、動きを創造するために出来た世界なので、安定していません。
安定していない状態のなかで、安定した幸福感を得ようとしても、なかなか難しいことが分かっていただけると思います。
世の中で、成功者といわれる人ほど強い不安感に襲われていることが多いのは、その状態を維持しようとすることの難しさとプレッシャーによるものでしょう。
では、そんな不安定な世界で、揺るがない幸福感を得るためには、どうすればいいのでしょうか。
繰り返しになりますが、それは『私の人生、私の幸せ』に執着しないことが大切になります。
読んでくださり、ありがとうございます!